朝本日記

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言ってると現実になる様

暗示というものだろうか。
いささか僕の言葉がそのまま僕になる感じがある。

わかりやすくいえば虫。しつこいようだが[虫にやられる]というものをやりだしてから、私生活でも虫にやられる。
蛾などの虫は威嚇飛行してくるし、突撃してくる事も、ある。
おかげでいかなる状況でも意識的に虫を殺傷する事なんてまったくできなくなってしまった。虫が苦手な事をそんなに態度にださない僕はよく外掃除を命じられるが、和歌山だから虫に襲われる。
言ってたらそのようになる事が多々ある。その可能性を信じてる。とてもロマンチックであり、ひっくるめて脳は神秘である。

今日は自転車スケボーに乗り、バイト通勤。自転車スケボーは僕のアイデンティティーを引き出すにはなかなか重要な乗り物である。いわゆるキックボードというやつだ。拾った。
拾って、ある程度乗って、拾った場所に返して、数日後、拾った場所に新しい自転車スケボーが捨てられてあり、また拾った。田舎は色んな物が落ちてたり捨てられてある。ギターを拾うものエフェクターを拾うもの色々な人がいたが、僕は自転車スケボー運にめぐまれているみたいだ。

今の時代、そのような乗り物に乗ると全年齢に注目を浴びるのだが、そこは無視しつつ、あるメリットが魅力的なのである。

徒歩で行く、車で行く、自転車で行く。メジャーな手段でどこかに通うと、それは定時になる。それはどういうことかというととても規則正しいリズムで世の中に対応しているようなものである。その安心感、あるいは安心的な場所は僕らが無意識で求めてるのであろう。
少し変わった乗り物に乗ると、移動速度も独特だから外出時間がほんのわずかずれる。そのずれた時間にいつもの道を通ると、わずかになにかが違う事に気づく。空気とか色とか音とか景色が。だが、このような物はさじ加減である。確かに違うが、脳が四捨五入などすると一緒になる。圧縮変換のようなものだ。だから一番何が刺激的かと言うと会わない人に会えるということである。規則的な物を維持する人がいれば、僕はずらすタイプの人だ。そういうのがいい。僕も新鮮だし。相手も新鮮だと感じれたら万々歳だ。

これは違う車両に乗ることや、近道(ショートカット)をしたり歩いた事のない通りを歩く事と一緒である。

そこで新しい考えが生まれたりする。それがいい。

僕は自転車スケボーのようなものが平気で大人が乗れる世の中に早くなってほしいなと思いました。

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